カンボジア内戦の時代、特に1976年から始まるポル・ポト政権の約10年間で、一説によると知識階級を中心に数百万の人びとが殺害されたといわれています。このため医師や助産師・看護師などの医療従事者はほとんどいなくなり、生き延びた医師はわずか20人と記録されています。
現在でも、カンボジアには大学の医学部が公立2校・私立2校しかなく、年間600人程度しか医学部に入学できません。医師になるのは日本よりもずっと狭き門であり、かつ経済的に余裕がないとなれない職業でもあります。カンボジアの医学部は6年制で、大学の附属病院というものはなく、公立病院を中心に臨床実習を行いますが、必ずしも良い教育を受けられるものではありません。それでも医学部を卒業すると、2年間のインターンシップがあり公立病院などで研修を受けます。この研修終了後の最終試験に通ってようやく医師の資格を習得できるのですが、専門医になるためにはさらに公立の大学に所属して4年間の専門コースの研修を受けなければなりません。
しかし、カンボジアにおける貧富の差は激しく、経済的理由で退学していく学生も多く、地方の学生たちは優秀であっても大学へ進学することすらできません。このような事情により、産婦人科や小児科の専門医と助産師の不足から、カンボジアにおける妊産婦や新生児・乳幼児の死亡率が高くなっているのです。
2015年、北海道札幌市の有志がカンボジアに開いた「無料の日本語学校」が閉校しました。この有意義な支援を途絶えさせてはいけないと考え、2017年4月、新たに医学・医療をめざすカンボジアの若者たちに対して、学費の援助を中心にその志を諦めさせない活動を展開する「一般社団法人 みらいアンコール基金」が設立されたのです。